【写真解説】アウシュビッツ強制収容所とは?

私は2019年の1月中旬にポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所に訪れました。

まずは、アウシュビッツ強制収容所(以下、アウシュヴィッツ)とは何なのか?を説明したいと思います。

 アウシュヴィッツとは?

f:id:ichiroJr:20190127102041j:plain

(写真:アウシュヴィッツ第二強制収容所=ビルケナウ) 

 正式名称は「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所」(英語:Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp)です。二度と繰り返されてはいけない歴史として1979年に世界遺産に登録されました。 

ナチス・ドイツ第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所(1940-1945年)です。推定130万人がヨーロッパ中から連行され、そのうちの約9割にあたる110万人がユダヤとされています。また、収容されたうち110万人が亡くなりました。

【内訳】

ユダヤ人:110万人

ポーランド人:14-15万人

・ロマ族(ジプシー):2.3万人

・戦争によるソ連軍の捕虜:1.5万人

・その他民族の収容者:2.5万人

 

アウシュヴィッツ(Auschwitz)とはポーランド語Oswiecim(オシフィエンチム)のドイツ語読みです。アウシュヴィッツナチス・ドイツが関連しているのでドイツにあると思われがちですが、ポーランドにあります。

f:id:ichiroJr:20190127103452p:plain

(写真:Google Mapsより)
ポーランド南部のクラクフという都市からバスで約1時間半のところにオシフィエンチムは位置します。クラクフポーランドの古都として栄え、日本でいう京都のようなイメージでしょうか。(アクセスについてはこちらをご覧ください:アウシュヴィッツを訪れて ~アクセスおよびツアー編~ - Smile & World

 

日本では一言で「アウシュヴィッツ」という名前で浸透していますが、「アウシュヴィッツ=ビルケナウ」という名前がついています。では、ビルケナウとは何なのでしょうか?

実は、アウシュヴィッツは火葬場、絶滅収容所、強制労働収容所がある集合体で、収容者増加に伴い、第一強制収容所、第二強制収容所(ビルケナウ)、第三強制収容所(モノヴィッツ)の3つの大規模な強制収容所で構成されていました。

f:id:ichiroJr:20190127103643j:plain

 そのうちビルケナウが強制収容所の中で最も収容者数が多く、ユダヤ人を根絶するというナチス・ドイツの計画において中心的な役割を担ったため、アウシュヴィッツ=ビルケナウという名前がついています。ビルケナウの大きさは東京ドーム約37個分。ピーク時には最大で9万人が収容されていました。モノヴィッツはブナの合成ゴム製造作業場として存在していました。

ビルケナウ内には線路が敷かれ、ヨーロッパ各地から連行されていました(1944年5月に完成)。

f:id:ichiroJr:20190130182453j:plain

アウシュヴィッツに到着した人々は、まず下記の写真のように「選別」されます。労働力としてみなされるかどうかです。

f:id:ichiroJr:20190130182220j:plain

一説としては、労働力としてみなされなければ、70-75%もの人が即刻ガス室に送り込まれたとされています。ガス室に送られる際には「シャワーを浴びる」と言われ、実際に石鹸を持たされ、天井にはシャワーがついていたそうです。

たとえ労働力として生かされたとしても、彼らはあくまで使い捨てであり、非常に過酷な環境で働かされ、到着後は平均して2~3か月で命を落としたと言われています。

劣悪な環境だったため、ダニ・シラミが大量発生し、病気の発生も拡大していました。少しでも被害を減らすために、男女ともに収容時に丸刈りにされました。その当時の毛髪は博物館内にも展示されており、そこだけは遺族を配慮し、写真撮影はNGでした。

即刻の処分を免れた者は、丸刈り、消毒、写真撮影、管理番号を刺青する等の登録がありました。

f:id:ichiroJr:20190130193241j:plain

しかし、人数が多くなった際には、写真撮影はされなくなったみたいです。
 

アウシュヴィッツ関連の写真

f:id:ichiroJr:20190130184136j:plain

アウシュヴィッツ(第一)の門
ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)

 

f:id:ichiroJr:20190130184317j:plain

ハンガリーから連行されたユダヤ

 

f:id:ichiroJr:20190130191213j:plain

アウシュヴィッツ(第一)で脱獄防止のため高圧電流(220V)が流されていた鉄条網

絶望のあまり自ら触れて自殺する者もいた。

 

f:id:ichiroJr:20190130191946j:plain

ガス室での殺害に使用されていたガス(チクロンB

銃殺はドイツ兵の精神的な負担があったこと、また収容者数が増えれば時間もかかることから、効率的なガスでの殺害に至りました。1缶で150人を殺すことができ、死体は収容者が運び、焼却炉で焼かれていました。

移送者が多いときは6千人/日がガス室に送られていました。

f:id:ichiroJr:20190130201304j:plain

ガス室の煙突(アウシュヴィッツ第一)
 

 

f:id:ichiroJr:20190130200201j:plain

死の壁」、主に、抵抗組織の人間が銃殺されていました。

 

f:id:ichiroJr:20190130193833j:plain

障害者から没収された義足等

 

f:id:ichiroJr:20190130194005j:plain

収容者のかばん

連行される前に「後で返す」ということで名前等、所持人がわかるように記載させていた。金目のものは奪われ、実際に手元に戻ることはなかった。

f:id:ichiroJr:20190130195215j:plain

収容者のくつ

 

f:id:ichiroJr:20190130201620j:plain

アウシュヴィッツ第二(ビルケナウ)の収容者棟

 

f:id:ichiroJr:20190130201751j:plain

収容所棟の内部

 

1945年1月27日にソ連軍がアウシュヴィッツに侵攻し、生存していた数千人の囚人を開放することになりました。  

 

参考URL:

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 - Wikipedia

https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/auschwitz-1

https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/gassing-operations

http://www.u-gakugei.ac.jp/~kagami/jwu/4.3.pdf